取り留めの無い話・・・

「父」という、自分に近い人物の死を経験し、少し、人生観が変わったように思う・・。







人は、誰もが、いつかは「死」と向かい合う。



父が、いなくなった。
いつかは、最愛なる母も。

そして、私自身も・・・。



父の「体」を前にして、この間、会って話していたのが夢だったかのように思えた。
とってもリアルな夢。


「体」は、硬直し、ちっとも動かない。色も抜けている。顔は穏やかなのに・・・。
親しみのある、その顔。



「体」とは、ヤドカリが背負っている貝のようなモノなんだな・・・。


中の者が出てきちゃったら、「体」は用なしになってしまう。




生きている・・・とは、何だろう・・・と、答えがあるような、無いような。答えたところで、で?ってなるような疑問がうまれる。



人生、自分が思っているより、短いのだろうね・・・。
まだまだ・・・って思っているうちに、確実に、ソノ時は近づいているし、自分が予期しない時にソノ時に直面するかも。



父は、やりたかった事を成し遂げる事ができなかった・・・。その前に、ソノ時がやってきてしまった。
無念に違いない。




私は、「もう満足」・・・と、ソノ時を迎えることができるのだろうか。



死ぬ・・・って、どういうことなんだろう・・・と、誰も知らない事を疑問に感じるようになった。



死んだら、人はどうなってしまうのだろう。死後の世界ってのが、本当にあるんだろうか。あるとしたら、どんな世界なのだろう。苦しいのかな・・・。
死んだ後、「無」になれたら、楽なのに。



死ぬ直前・・・怖いのだろうな・・。こわくて、こわくて・・・。
そんな恐怖を、父は一人で耐えていた・・。それを考えると、今でも涙が出てくる。
もっと、はやくに、その恐怖を解ってあげられたら。



父は、最期、涙を流して去っていったらしい・・。
苦しかったのか、こわかったのか、無念だったのか。

最期、父の傍にいてあげられなかった事が悔やまれる。
父を亡くした悲しみは、時間が経てば、和らぐのかと思いきや、不思議な事に、時間が経つほど、父の存在が強くなり・・・寂しさがこみ上げてくる。





頭ではわかっていても、本当に失ってみないと、そのモノの大きさや重要さに、真に気付かないのが、愚かな人間・・・。






しばらく、取り留めのない事を考えるようになった・・・。




当たり前のように毎日を過ごしているけど、こうしている(生きている)時というのには、限りがあって、いつか私たちは、当たり前のようにやっている事ができなくなる時がやってくる・・・。



当たり前のように窓の外に見える景色がいつかは、見れなくなり。
当たり前のように食べているものが、いつかは、食べれなくなり。
当たり前のように自分の足で歩いているのが、いつかは歩けなるなり。
当たり前のように接している人と、いつかは話しもできなくなる・・・。




“生きている”から、感じる事ができるわけで・・・そう思ったら、『今』、自分は“生きている”んだ、という事を意識するようになった。




今まで、“生きている”という事を意識しながら生きてこなかったように思う。・・・それが当たり前だと思っていたから・・。



昔、父が「万人に平等なものが一つある。それは“時間”。」と言っていたのを思い出した。その時は、ピンっとこなかったけど、今は解るように思う・・。



生きとし生けるもの、誰しもがタイムリミットを持っている。
このタイムリミット内に何をするか。何をしたいか。何を感じたいか・・・。




しかし、外部的要因は、自分でもどうにも出来ない事がたくさんあって、思うようにいかない事が多々あるだろう。
でも、内部的要因は自分次第。



当然のように見えているものを慈しんだり。
当然のように食べているものをありがたく思えたり。
当然のように接している人を愛おしく思えたり・・・。




当たり前だったものが、当たり前ではなくなると、自分の感覚に触れる全てのものが、尊く思えてくる。



そして、いつか、その感覚も無くなって、体はただの物体となる。
誰にでも等しく、ソノ時はやってくる・・・。



いつかは、ただ物体と化するのに何の為に、産まれて、生きているのか。
どうやってタイムリミットまでの時間を生きていきたいのか・・・。


追求したところで、無意味な事かもしれないし、ずっと解らない事かもしれない・・・。



永遠には続かないからこそ、“時間”が誰にでも等しく貴重なのだろう。

いつかは無くなる五感が動いている事を感じ、いつかは会えなくなる人の存在を意識するようになって・・・今まで、見えていた風景が、少し違って見えるようになった気がする。


きっと、まだこれからも、徐々に『人生』という風景は、変わっていくのだろう。生きている限り・・。










私たちに、いろいろ教えるのが好きだった父。
いなくなっても尚、こうやって、私たちに課題を残し、考えさせられている気がする。
多くの事を教わりました。
そして、これからも、教わるのでしょう・・・。