☆ぶらり京都〜龍安寺☆

せっかく、関西まで来たんだから、やっぱり・・・京都にも足を運びたい♪

次来れるのは、いつになるか分からないし・・・うん、いっとこ!!


って事で、阪神電鉄に乗って、旦那の実家から、京都へ行ってみることに☆

甲子園駅から出発し、電車に揺られる事約45分だったでしょうか・・・。
あっという間に京都♪


中学と、高校の修学旅行の計2回しか、まだ訪れたことがない・・。
修学旅行にしか来れないような特別な感覚を持ってたのですが、旦那にしてみれば、東京でいう横浜へ出るようなものらしいのです・・。贅沢!!


行きたいところは、数多くある中、時間も限られているので、まだ訪れた事がなくて、ここはいつか絶対行ってみたかった!!って所をチョイス。

で、向かった先は、龍安寺


10月も下旬にさしかかる頃だったのですが、まだ、木々の葉は青々としていました・・。


龍安寺は、禅宗が盛んだった室町幕府管領守護大名細川勝元が1450年に創建した禅寺だそうです。


そして・・・是非、一度は足を運んでみたかった、龍安寺といえば、コレ『石庭』

目の前に広がる石庭には、感激しました☆

石庭は、幅 22 メートル、奥行 10 メートルほどの敷地に白砂を敷き詰めて、帚目を付け、15個の石を5か所に点在させたシンプルな庭。

最初は、どうみても、15個もの石を見つけられず、いろいろな方向から眺めてみることにした・・・。
すると、15個!!見えました!!


なかなか、見えなかったはずで、15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているらしいのです。





また、東洋では十五夜の満月にあたる『15』という数字を「完全」を表すものとしてとらえ、その『15』に1つ足りない『14』「不完全さ」を表すとされる思想があります。
一方、日本には、「物事は完成した時点から崩壊が始まる」という思想があり、建造物をわざと不完全なままにしておくことがあるそうです。



不完全なように見せて、完全なものにしようとしたのでしょうか・・・。
作者の意図は、今や不明とされ、鑑賞者の自由な連想と解釈にゆだねられているこの石庭。




観光客が多く、ざわざわしていたのが、ちょっと残念だったけど、気持ちを静めて、ぼうっと眺めていると、いろんなモノにみえてきます・・・。

まるで、大海原に浮かぶ、島のようにも見え、山のようにも見え、この限られた空間で、自然の偉大さを感じます。
また、微動だにせず、その場にたたずむ石を見ていると・・この世の中、変わらないモノ、変えることのできなモノがあるのだ・・という事に改めて気付かされるものです。


自分が生まれてきた事。
両親やきょうだいとの繋がり。
そして、誰にでも訪れる死・・・。

父を亡くしたばかりの私にとっては、考えさせられるものがあり、気持ちを静めるのに、良い場所でした・・。






石庭だけではなく、寺の南には広大な鏡容池があったり、周囲は回遊式庭園になっていたりします。

この青々とした・・・コケたち・・・。

普段、コケって、そんなに気に留めないなんですが・・・何故か、やたらと目にとまった・・。
いや〜、美しく生えているんですよ〜♪コケが。


こちらは、知足の蹲踞(つくばい)
あの、水戸光圀が、寄進されたと伝えられており、ぱっと見ると、蹲踞には「五・隹・疋・矢」と書かれているように見える。しかし、水を溜めておく中央の四角い穴を『口』とみたてて、実際には、「吾唯知足」という4字が刻まれています。
その意味は、「われ、ただ足るを知る」
石庭の石が「一度に14個しか見ることができない」ことを「不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めでもあるといわれているそうです。


葉っぱが青々としていた・・・と思いきや、紅葉に移り変わっている木もおりました。


なんだか、いろんなモノの原点にかえれるような・・心を静めるには、とっても良い所でした。
来てよかった♪