戦艦大和の町〜呉☆

広島に住む、旦那のおばあちゃん、呉(くれ)市という町に住んでいます。



おばあちゃんの家から見える、瀬戸内海


ローカル線に乗って、「天応」という小さな駅で降り、そこから、ちょっとした山登り??ってな坂道を上がっていくと、おばあちゃん家がある。
東京生まれ、東京育ちの自分からすると・・・絵に描いたような田舎の家


小さい頃、友達が、「夏休みは、田舎に帰るんだ〜♪」って言っていたのを羨ましく思った事もあった・・。私の頭の中で、その時描いていたような家が、こんな感じ♪


家の周りは、ちょっと住宅があるけど、夜になったら、本当に暗くなるような所。


夜は、星が綺麗です♪

家の前に生えている柿の木から、柿を取る旦那(笑)


めっちゃ、渋くて食べられませんでした(汗)


約3年ぶりくらいに会うおばあちゃん♪今年86歳なのに、しっかりした、かわいらしいおばあちゃんです。



明治時代以降は、帝国海軍・海上自衛隊の拠点となっている呉市は、あの、戦艦大和を生んだ町です。


明治22年鎮守府明治36年には海軍工廠(海軍直轄の工場)が設置され、戦前においては、東洋一の軍港、日本一の海軍工廠のまちとして栄えた町でした。
また、戦後においては、世界最大のタンカーを多く建造するなど、日本が戦後約10年ほどで世界一の造船国へ発展する一翼を担い、日本の近代化に大きく貢献してきた町です。




おばあちゃん家から、タクシーで約15分のところに、大和ミュージアムがあります。

その一階部分には、実際の10分の一の大きさの「大和」が展示されています。



10分の一でも、すごい迫力!!



戦艦「大和」は、1941年12月、呉海軍工廠で、その当時の最先端技術の集大成であり、極秘に建造された世界最大の戦艦です。
しかしながら、1945年4月7日、沖縄特攻作戦に向かう途上、米艦載機の攻撃を受け沈没。
乗員3,332名のうち3,056名が大和と深い海の底へ消えていきました・・・。


同じフロアに、実際の戦闘機も展示されていました。

これは、琵琶湖に沈んでいたもので、ダイバーが発見。その後、このミュージアムに持ってこられたのだそう・・。


3階には、どのように船が動いているのか、その科学をからだで体験できるコーナーが設置されています。


舵がどのように機能しているのか・・・。


・・・真剣に遊んでしまいました(笑)



4階テラスからは、呉の港が一望できます♪以前は、ここで大和が造られていたのか〜〜!!

3人でパチリ♪


大和ミュージアムは、明治以降の日本の近代化の歴史・「呉の歴史」と、その近代化の礎となった造船とその科学技術に触れる博物館です。



次に向かったのは、そこから更にタクシーで走る事約20分、音戸の瀬戸
音戸の瀬戸は、本州倉橋島の間に存在する海峡。


平清盛が、手招きで、夕日を連れて帰ってきたんだよ〜。」って、誇らしげに言うおばあちゃん。
なんでも、平安時代日宋貿易の航路として、平清盛が開削したといわれているこの海峡。その時、一日で工事を完了させるために、平清盛が、夕日を招き返したという伝説があるんだそうな。



綺麗な夕日でした〜♪
そういえば、2012年の大河は、松山ケンイチ演じる「平清盛でしたね〜☆観たいな〜。




なんだか、先人の努力、古きよき文化に触れ、また、おばあちゃんとのんびりと過ごせた良い日でした♪