広島〜原爆ドーム。
さて、今回、兵庫帰省のついでに、広島の旦那のおばあちゃんの所にも訪問してきました。
昨年末、おじいちゃんが亡くなり、そのお墓参りも兼ねて・・・。
朝から出発し、午後の早い時間には広島に到着したので、ちょっと散策に行ってみることにした。
市内を走る路面電車に乗り込む。
修学旅行の学生さんもたくさん居ました。
向かった先は、原爆ドーム。
悲しい歴史がつまった場所ですね・・・。
昔、父と一緒に訪れた事があった場所。
負の遺産ではあるが、世界遺産にも登録され、広島の観光名所とされている原爆ドーム。
ここは、被爆前も、楕円形ドームを備えるこのセセッション(Secession)建築が、観光名所とされていたとの事。
しかし、耐震性には大きな欠陥を抱えているようで、このことが、被爆時に全壊したという事実にも現れています。
戦後もたびたび取り壊しの危機に瀕するも、鉄骨により支えられ、樹脂を注入されることで辛うじて崩壊を免れているそうです。ただ、地震等によりいつ倒壊してもおかしくない状況は変わっていない、と。
どういう所か、何にも知らないで、のんきに猫は建物で、寝ています・・・。
こちらの「原爆の子の像」は、『非核=千羽鶴』の由来を意味するものでもあります。
立っているのは、佐々木貞子さん。
彼女は2歳の時、広島の原爆で被爆し、12歳で急性白血病と診断されました。
貞子さんは、鶴を千羽折ると願いが叶うと信じ、夜も眠らず「生きたい」と願いを込めながら、薬の包みなどで鶴を折り続けたそうです。
しかし、9ヵ月の闘病生活の後、亡くなりました。
その後、「広島平和を築く児童生徒の会」が結成され、国内及び海外からも、多くの募金がよせられ、「原爆の子の像」が1953年5月5日の子供の日に作られたそうです。
そして、祈り鶴は「再び被爆者をつくらない」決意の証として、国内、海外でも反核のシンボルとなり、今でも「原爆の子の像」にはたくさんの千羽鶴が贈られ続けています。
悲しい話ばかりしていても・・・ということで、被爆以前のことをちょっと・・・。
広島市は、日清戦争で大本営がおかれたことを機に、軍都として急速に発展しました。そのため、経済規模の拡大とともに、広島県の製品販路の開拓が急務とされていたそうです。その拠点として1910年8月5日に建てられたのが、「広島県物産陳列館」、今の原爆ドームです。
ユーハイムのバームクーヘン・・・食べた事ありますよね?
第一次世界大戦中に中国で、日本軍の捕虜となり、広島湾に浮かぶ「俘虜収容所」という所に収容されていた株式会社ユーハイム創業者、カール・ユーハイムが、ここで日本初めてのバームクーヘンの製造販売を行ったそうなんです!
1921年には、第4回全国菓子飴大品評会の会場にもなり、1933年には広島県産業奨励館に改称された・・というのが、被爆前の姿。
今では、悲しい想い出の跡地となってしまいましたが、被爆以前は多くの人を寄せ、賑わせた場所だったのでしょう・・。