2011年8月8日

すでに、台湾滞在、2週間。

8月8日、台湾では父の日。

父が息を引き取った。

肝臓癌。


肝臓三分の一を摘出する大手術から8年。
とうとう、この日がきてしまった。

父と離れて暮らしてから、15年。


私が小さい頃は、自営業で忙しく、一緒に旅行に行った記憶は2〜3回くらい。
幼い頃に、父と一緒に過ごした時間は、少なかった。


大学に入ってくらいからだったか・・・父も、子供との時間を大切にしないと、と思ったらしく、高雄の大学に通っていた私が、夏休みやお正月に台北に来ると、温泉いったり、海辺へ行ったり、一緒に小旅行に行く機会が増えた。


私が大学3年頃だったか、一度、きょうだい3人が台北で集まる事があった。
弟も妹も夏休みで台湾に帰ってきて、きょうだい3人、父を囲んでご飯を食べた。あのときの、嬉しそうな父の顔・・・今、思い出すと、ああいう時間持ててよかったな・・と、思う。
「子供が大きくなって、一緒に酒が飲めるようになるのが、ひとつの夢。」と、喜んで、ビール飲んでたなあ・・・肝臓悪いのに。(苦笑)


私が高校の頃、辛かった時期に、私を責めず、静かに待つように見守っていてくれた時期があった。病んでいた私が、はやく回復しないかと焦っていた母とは対照的だった。焦らず、私のしたいように流れに任せ、応援してくれた。
後になって、父の友人から聞いたのだが、あの頃の私の姿をみて、涙を流して心を痛めていた・・と。


私が幼稚園の頃、父の手を握って寝るのが好きだった。
仕事で遅くに帰ってくる父が布団に入るのに気づくと、隣の布団に手を伸ばして、父の手を捜していた記憶がまだ残っている。
指は決して長いほうではなく、肉厚な大きな手。
「お前は、小さい頃、お父さんの手を握って寝るのが好きだったなぁ・・」と、言っていた父。覚えていたんだな・・。



家庭第一・・・という父ではなかった。
自分のビジネスに時間もお金も費やしてきた人だった。
話の内容は、仕事の話が多かった。学生の頃は、そんな話を聞かされても、理解できないし、面白くも無かった。
しかし、仕事の話を通して、社会において、また家庭においての教訓を伝えてくれていた。今、思えば、どれも父の経験を踏まえての貴重な話。


父から教わる事は、多かった。
しかし、理解できない事も多かった。


子を愛してくれている・・・それに間違いは無い。
そういう父という存在が居てくれるだけでも、有り難いこと。
そう思っていた。今でも、そう思える。


6月に、父に会い来て、私が日本に帰る日、私を送り出そうと病院の外でタクシーを呼ぼうとしていた父・・。
なかなか、タクシーを呼ぶ手が挙がらない父。その顔をみると、うっすら目に涙を浮かべていた気がした。辛くて、どうしたのか、なんて聞けず、私は静かに父の手が挙がるのを待った。
「もしかしら、これが最後かもな・・」と、父。

もう、察していたのだろう・・・。



その時の父の気持ちを思うと、今でも胸が張り裂けそうになる。



その時に決めた・・・しばらく父の傍に居よう、と。
8月中、仕事がひと段落したら、仕事を辞めて、しばらく父の傍にいよう。


一人で、闘病生活を送っていた父。
死と背中合わせの日々。
苦しく、自由にならない体との葛藤。
孤独。
辛かったに違いない。


なぜ、もっと早く、帰ってこなかったのか・・。


私が、行った6月の時点では、余命半年だった・・。
様態が、ものすごく悪くなり、8月3日に父の友人からEmailが届いた。
「すぐに、誰か帰ってくるように。」と。


タイミングが悪く、職場から離れられない時だった・・・。



母に連絡したら、母がすぐに駆けつけた。



それから・・・あっという間だった。



「これが、最後かもな。」と言った父に、「そんな事ないよ。」と返した言葉・・・実現できなかった・・・。


あの時、本当にこれが最後になる・・という現実味がなく・・また、会えるんじゃないかと思っていた。


一寸先は、どうなるか・・・分からないんだな・・・という事を思い知らされた。

あの時、私を送り出すのが名残惜しそうな父の姿・・・それを思い出すと、なぜもっと早くに来てあげなかったのか、という悔いと涙がこみ上げてくる。


しかし、過去を悔いていても何も始まらない。
過去に生きるも、未来に生きるも仕方がない。
今をしっかり生きなければ。


人間、生きていれば、必ず直面する別れ。
いつかは、自分にも訪れる・・・。


人間は弱い。
生きる上で、老病死は免れない。


産まれて、死ぬまでが、『人生』という過程・・・。


父の人生は、なかなか過酷だったと思う。
やり残したことも多いことだろう。
しかし、もう苦しまなくていい・・・。


生きる上での苦しみから解き放たれ、安らかに休んで下さい。
過去にも、未来にも、私の父は、だた一人。それは、永遠に変わりません。

お父さん、お疲れ様でした。
どうも、ありがとうございました。