容疑者Xの献身

またも職場で、本が回ってきまして・・今更・・・って思われるかもしれないが・・今度は、東野圭吾容疑者Xの献身を借りて、読んでいるわけで・・。



推理小説なんて、ほとんど読んだ事がない。
ガリレオシリーズも、ドラマは観ていなかったし、映画も観ていない。



古畑任三郎は、好きだったけど・・・そんなに、推理ものには、積極的に手をつけたがるほど好き好んで読んだり、見たりはしない。そもそも・・・あまり本自体読まなかったほうなので・・小説すら、ろくに読んだ事がなかったのだが・・ここ(NY)に来て・・TVはケーブル繋がっていないし、映画をみても、解らない・・ってんで、やたらと本が面白く感じられるようになり・・この機会に、移動中は、ほとんど本を読んでいるこの頃。(以前は、少しでも睡眠時間にあてていたw)



『容疑者の献身』を読んでて・・推理とは関係ないが・・石神といい、湯川学といい・・もともと頭のキレはいいにしても、自分の専門とする学問への没頭の仕方、時間の注ぎ方が・・・すごい。


自分の生涯の時間を、学問に注ぐ・・・“学者”と呼ばれる人間は、こういう人たちなのだろうなぁ・・と。
何年も、何十年も一つの問題を解くのに、研究を重ねる。そして、自分が生きているうちに、解けるかも解らないものに、果敢に挑み、打ち込み続ける。



難題に挑む事は、容易い事ではないが、それが楽しい・・。
自分の生涯を捧げてまで、没頭する何かを持っている・・ちょっと羨ましいような。・・でも、自分にはとてもじゃないけど・・そんな素質はない。




石神という数学学者・・・大学の頃の数学の教授を思い出す。
私にとって「数学」は・・・とにかく、大の苦手分野。小学校の算数の頃から、大大大の苦手。そもそも、論理的思考能力が、かなり低いのです、私は。


数学が好きな人は、「答えが明確だから、わかりやすい。」と、言う人が結構いるように思われるが・・・その答えに辿りつくまでの道のりが、とてもしんどい。
そもそも、この世の中、いろいろな事が解答は必ずしも一つではない・・見方一つで、答えなんて、如何様にも変わる・・と、思っているので、根本的に数学的な考えを持ちあわせていない、と、私は自分でそう感じているわけです。


そんなもんで、「数学」と聞いただけで・・あぁ、私には無理・・と、自分で先に決めつけてしまう。だから、余計に苦手になっていくんだろうけど・・。


高校では、学区外のコース制を設けている学校を受験した。
国際コースに入学。受験科目に、数学がなかった。
高校2年からは、数学は選択授業となり、高校において、私はほとんど「数学」というものに触れてこなかった。



が、大学。
学部・専攻柄、統計学やら数学やら・・“数”に関わる授業が必須科目として入ってきた。


学部1年生・・・基礎科目に、「数学」
実質、中学校レベルの数学しか知らない。というか、中学レベルの数学すらままならない私が、台湾の学生と「数学」の授業を受けるとは・・・天と地のレベルの差
理系はともかく、文系の学生ですら、数学のレベルはそこそこある彼ら・・・全く、話しに付いていけなかった・・・。



そもそも、言葉の壁はあったが・・中国語ではなく、全く別の国の言葉を話しているように聞こえたくらい・・全く言っている事が解らないのである



で、その時の数学の教授が・・・これまた・・・教えるのが、上手くない




他の科目は、解らないながらも、授業終了後、教授に聞きにいったり、クラスメイトに教わったりで、なんとか意味は理解できた・・。


が、この時の数学ばかりは、教授に聞きに行っても・・そもそも、言っている意味が理解不能


授業中は、懸命に聞いていたが・・・最初から、最後まで、一体彼が何の話しをしているのか、理解する事ができなかった。


それは、私の中国語の聞き取り能力不足、及びあまりにも数学の基礎がなさすぎなのか・・と、思っていたら・・50人近くいるクラスメイトの、40人くらいは、その教授が何言っているのか理解不能だという・・(苦笑)



彼(教授)は、よく、授業中ですら、黒板に自分で書き出した問に、自分で解き始め・・・解いてみては、消し・・また書き始め、ちょっと考えては、また消し・・。
所々、説明するが・・・彼にとっては、説明し終わったつもりのようでも、私たち聞いている側は、まだ説明が途中のまま、次の問に移った・・なんて事がしょっちゅう。


彼の頭の中で解決した事や、彼自身は方程式の作り方や解き方を知っていても、ソレを表に出して説明する事、つまり、人に解りやすいように伝える事、教える事が苦手の人だった。


それでも、周囲からは、天才的!数学に関してなら、彼に!!という話しを聞くし、数学の研究にも、すごく熱心な先生だったらしい。
時折、"数学"を理解していない生徒達に、数学を教えたところで、真から解ってもらえるはずがない・・と、言葉にこそしないものの、そんな風に感じているのでは・・と思わせるくらい、授業は表面的な事もあった。




彼の授業を休む生徒が増えていき、「彼は自分の頭の中で解いているだけで、全く伝わらない!授業に出ても、まるで意味不明だ。」と、露骨に口にする生徒も出てきた。




「彼は、優秀な“研究者”かもしれないが、良い”教授”ではないな・・」と、ほとんどの生徒がそんな風に彼を言っていた。
それでも、生活する為には、教授として授業を持たなければならなかったのだろう・・。




多かれ、少なかれ、どこの学校でも権力争い的なものが存在するだろう・・。
うちの大学でもあったはずで・・しかし、その数学教授は、全くそういった事には感心がない様子だった
常に数学の事だけ。
(年次も関係してか、彼はうちの学部の学部長になっているが。)




あの頃は、"教授"としてみていたから・・あぁ、教えるのが上手くないから、理解に苦労する。面白くない教授だ・・・なんて、思っていたけど、"学者"としては、どういう人だったのだろう・・。





一つの事に生涯すら捧げる事のできる石神という登場人物、世の中の"学者"と呼ばれる人たちのソノ集中力、持続力、探究心、没頭する力って・・すごい。






自分の生涯の時間を費やしてもやり遂げたい!!ってもの・・・今の自分には無い。