鳥葬??
一緒にお仕事をしているMさん。
そのお友達がたまに、クリニックに顔を出す。
昨日は、そのお友達の方が顔を出し、ちょっと立ち話をしていた際に・・・。
「一生、アメリカ・・・っていうのは・・・やっぱ考えられないね・・・。」と。
日本の人と話すと、良く聞くこの言葉。
若いうちはいいけど、歳を重ねてくると、きつくなる・・・って。よく耳にします(笑)
まあ、そら、「異国の地」なので、故郷が恋しくなるのは当然かと。
日本には自分の親族や信頼する友人が居る・・・これが何よりもデカイと思う。
習慣、考え方の違いはある程度は慣れても、根本からは納得できていなかったり・・・。
積み重なったら・・・そら、疲れてくるだろうに。
それは、私も感じます。
そんな話しから・・・「アメリカは土葬でしょ・・。私はやっぱ火葬がいい。」と。
二人とも、葬られるのは、日本がいい・・と、言う。
「私、チベットの『鳥葬』でもいいかも・・・」というお友達の方。
鳥葬???・・・そんな葬儀があるんだ・・・と、初めて知った。
チベットでは、最も一般的な葬儀だそうで、死んだ人間の肉体を鳥に食べさせる、というもの。
チベットでは、死後49日までの間は、故人の名前を口にしてはいけないのだという。それは、死んでもしばらくは、まだ魂が遺族の周りにいて、これから遠くに渡り、次に転生しようとしているのに、名前を呼んだら、呼び戻す事になってしまうから・・・と、考えている。
しかし、魂が抜けた肉の塊にしかすぎなくなった遺体は、鳥葬場に運ばれ、死後数日後には、処理される。
「天葬師」と呼ばれる遺体の処理をする人によって、分解され、大きな岩や鳥葬台の上に置かれ、大きなハゲタカ等によってついばまれる。残った骨は、更に砕かれ、更に鳥たちに食べさせる。そして、ほとんど何も残らない状態になる・・という。
・・・考えただけで・・・胸焼けが・・。
しかし、魂の抜けた肉体を鳥に食べさせる事で、空高く舞い、「天へと送る」宗教上の手段の一つなのだという。そのため、『天葬』とも呼ばれるそう。
また、生前は生命を奪って、それを食べることによって生きていた人間が、せめて、死後に魂が抜けた肉体を他の生命の生存のために、分け与える・・・という考えもあるよう。
魂が抜けてしまったら、それはただの“抜け殻”=“肉”と、思うからできるのだろう・・。
更には、チベットで鳥葬が一般的になった理由のひとつには、その自然環境にもよるのだという。
大きな木がほとんど生えないチベットでは、樹木が乏しく火葬にするための燃料が不足している。かつ、岩場や凍土も多いので、土葬にも向かない。
初めて知った「鳥葬」という葬儀方法・・・衝撃的。
そのお友達の方は、たまたまTVのドキュメンタリーでチベットの「鳥葬」が取り上げられているのをみて・・こうやって自然に還るのも悪くない・・・と、思ったらしい。
・・・言葉が出なかった。(汗)
というか・・・そもそも、自分の葬儀をどのようなカタチで・・・とか・・・まあ、まだ考えたことないわけで(笑)
自分もそれ相応の年齢になったら、考えるようになるのかな・・・って。
以前、語学学校の友達に、自分が考えもしなかった事を言われた事があった。
私は、これでも一応カトリック。旦那は、特にそういうのは無い。
「旦那さんもカトリックなの??」と、聞かれ、旦那は違うと答えた。
そしたら、「え??違うの??そしたら・・・お墓は別々なの??だって、宗教によってお墓違うでしょ・・。」って言われて・・・驚いた。
そんな観点で結婚を考えた事、全くなかった。
でも、考えてみると・・私の母方のおじいちゃん、おばあちゃんは二人とも熱心なカトリックで、同じお墓に入っている。
伯父・伯母に関しては、結婚を機に、伯母が伯父と同じカトリック信者となった。そして、同じお墓にいる。
その時にして、ああ、そういえば・・・と、思ったわけだけど・・・まあ、何とかなるでしょ(笑)
そういう観点で、みる・・・という事に、少し驚いた瞬間だった。
いつかは、コノ“肉体”とおさらばする日が来るのか・・・と、思うと、今の自分の時間の過ごし方はもったいないようにも感じる・・・。
・・・こんな話しをしてたら・・・「金曜の夜なのに・・・ハウル・・・もっと明るい話ししない?」と、私の話しにぐったりした様子の旦那(笑)
こんな話しをしながらも、この日はダイナーズでステーキを注文して食べるのでした・・・。