Segregation★

ここ1週間のうちで、春通りすぎて、夏か??ってほど暖かくなったNY。
この週末は、お出かけ日和、お散歩日和♪夜は、19時でもまだ空が明るい。

長かった冬もやっと終わりか♪

そんな週末は、毎度のこと土曜日は眠い目こすって、朝からESLのクラスへ。



今週は、ESLではなく、社会科のクラスに参加しているようでした。
というのも、Apartheidに関して少し話しをしていたからです。


Apaetとは、“Segregation”(分離)を意味する・・から始まり、Apartheidとは人種隔離政策である、と。主には、黒人差別を意味していることが多いと。・・小学校か中学校の時、社会の授業でやりましたよね?


奴隷制による黒人への差別は、薄れたとはいえ、現代にまで根強い。

そもそも、アメリカにおける黒人奴隷の始まりは、15世紀から19世紀にかけて、プランテーション農業などの経済活動への従事のために、アフリカ諸国から輸出されたことによる。
実に、今からさかのぼって400〜500年前のこと。
そこから約200年という時間を経て、1862年にしてリンカーンによる奴隷解放宣言により奴隷制は終わる。

しかし、それまで学問も財産所有も許されなかった黒人たちは、知識の欠如、貧困さ故、白人の下で働く人が多く、実質的には奴隷のような生活を強いられてきた・・。


しかも、1971年まで黒人には、投票権すらなかった、という。
つい40年ほど前のことであることに、驚いた。


奴隷制が終わったものの、1948年に法制化されたアパルトヘイト
その当時、学校は白人と黒人の学校に分かれ、トイレも白人専用、黒人専用があり、レストランも白人のレストラン、黒人のレストランと分かれていたという。
しかも、お水を引く、源泉も白人の源泉と黒人用の源泉と別々だったそう。


もちろん、交通機関においても、バスでは白人用の座席黒人用の座席があった。
前方が白人、後方が黒人。
バス利用運賃を投入するコイン入れは、運転手の座席の横にあるため、黒人はいったん、コインを投入するために前の入り口からバスに入り、運賃を支払う。その後、降りて後ろの出入口へまわり、後方の入り口からバスに乗り込まなければならない。

要は、白人の前を通ることすら許されなかったわけ。


アメリカ南部アラバマ州のモントゴメリー市である日、白人乗客のうちの1人が、バスの中で立っているの見た運転手が、黒人席に座っている黒人4人に対し、「席を譲れ!」と。
元気な白人男性一人に対し、四人の黒人に立て!と。しかも、黒人たちは、ちゃんと黒人席に座っているのだというのに。

言われた四人のうち、三人は立ったが、一人、どうしても、納得いかなかった黒人女性がそれを拒んだ。

「ここは、黒人席。しかも、何故1人に対して4人も立って譲らなければならないのか?私は、譲りません。」


そういって、席を譲ることを拒んだのが、のちのちにアメリ公民権運動の母」とも呼ばれるRosa Parks.
彼女は、運転手の言うことを聞いて、席を譲らなかったが故に、逮捕されてしまった・・・。
1955年12月1日に出来事である。

これをきっかけに、モントゴメリー市で、大きなバスボイコットがおこった。
黒人たちは、こぞってバスに乗る事を辞めたのです。

来る日も来る日も歩き続けたり、タクシーや自家用車を相乗りしたり、雇い主の車に乗せてもらったり、そして寄付金によって購入された車をグループごとに使用したり。

そのうち、バスも深刻な経営困難に・・・。


一人の普通の黒人女性によって始められた抗議行動は、黒人市民すべてを巻き込んだ大きな運動へと発展。
当時、新任牧師のマーティン・ルーサー・キングJr.がのちにリーダーとなり・・・Rosa Parksがバス内で逮捕されてから2年後、モントゴメリーで白人・黒人席を廃止したバスを運行させるに至ったという。


Rosa Parksは2005年10月に亡くなったそうです。




55年前まで、こんなにも人種の違いで差別が激しかったのか・・と思うと・・ほんと、ここ20年にして世の中はだいぶ変わったのだなぁ・・と感じる。

自分が生きている今の時代、戦争も知らなければ、『人権』も尊重されている。
ほんの数十年前までは、まるで違う世界・・・。

変えよう!と思えば、変えられる。
変わろう!!と思えば、変わるのだろうか。


まだまだ、変わるべき要素はたくさんある今。
これからも、いろいろと動くのだろうかねぇ・・。


豊かさ故、動く必要性にかられる事もなく、動かなくなっていくんじゃないのかなぁ・・とか・・・なんか、英語を勉強しにいった感覚ではなかった今週の授業でした。