悟り

最近、手塚治虫の「ブッダ」を読んでいます。
全12巻、まだ5巻を読み終えたところ。


自分は、生まれてすぐ、カトリックの洗礼を受け、
今もたまに、教会へ行く。
※宗教の話になって、賛否両論あるかもしれない
が、ご了承あれ。


ただ、仏の世界もキリストも、宗教はすべてどこかで
共通して通ずるものがあると思っている。

そもそもは人間がうんだ宗教・・・。
それを遡るは、人間『キリスト』、『ブッダ』どれも
歴史上の人物である・・・。



なぜこうも、神と呼ばれるほどの力が・・・?


それはさておき、今「ブッダ」を読んでいて・・・
「死」について考える。

自分はまだ、若い。たかが26歳。
※当時のインドからすれば、もうかなりいい年なのだろうが・・。

「死」を意識することはあっても、まだ「怖い」と本気で感じたことはない。
人間は必ず死ぬ・・人間に限らず、この世に生まれてきた生き物はは皆・・


「死」を怖いと感じるようになったら、本当に恐ろしいだろう・・。


当時のインドは、苦しい事ばかり、「生きる」事自体が苦しく、
卑しく、辛いことだったのだろう・・・人はそんな辛い現実から逃れるため、
僧として出家したり、また何かを信じようとしたのだろう・・・。

・・・環境は変わらない、変えることができない・・だから、
自分が変わることで変えていったのだろう・・。


生まれながらにして、「奴隷」は奴隷、「貴族」は貴族・・・。
身分の自由が許されなかった時代。

人は生まれながらにして、「心」(精神)の自由は万人に共通のはず・・
しかし、この時代は、おそらく僧として出家できる者も、
それなりの身分・・・。
精神の自由さえも許されない、そんな時代だったのかもしれない・・。


「生」と「死」は表裏一体。
「苦」と「楽」がそれのように・・。




「悟り」とは何か?
「死」を恐れず、受け入れることができるようになるということか?


・・・まだ、物語は続いている・・。